池町 佳生


池町佳生
1997年パリダカスタートでの池町佳生さん
「若き挑戦者たち」でその活躍が紹介されている池町さんがパリダカールラリーに挑戦します。 1997年にパリダカールラリーへ初参戦し、日本人ライダーでは前人未踏のトップ20位に入り ワークスライダーと互角の走りは注目を集めました。3年間の準備期間の後、再びアフリカの砂漠に挑みます。
ゼッケン番号は77番、日本人ライダーでトップのスタートです。


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ダカール〜カイロを完走したマシン


●池町佳生さんのパリダカ日記

1月27日   [パリに帰着]
 やっとパリまで帰ってきました。みなさんの応援を本当に感謝しています。
ありがとうございました。
とりあえず無事にフランスまで帰ってきたので報告まで…。

1月24日   [ゴール後の感想]
池町 佳生さんのコメント
「まぁ途中いろいろとあったんやけど、結果的には無事完走できました。みなさんありがとう。 日本人初の10位と言われてもあんまり実感ないんですわぁ。途中5日間もキャンセルがあったし、 マシンが完璧でなくて後半は我慢のレースやったでしょ。ほんでもエンジンが壊れんかったのは、やっぱ耐久性が優れているからなんやろね。 今年の結果で新しいチャンスも生まれるかも知れへんし、そうなれば来年も走れるなぁ。もうちょっと安くで。(笑)
そうそう、初めて見たんやけどピラミッドは思ったより小さいですねぇ。 これ登ってええんかなぁ? 登りたいなぁ。(笑)」

1月22日   [ベストリザルトへ向けて]
池町 佳生さんのコメント
「ここんとこハイスピードのコースばっかりでしょ。そんなんで、前にも言ってた燃料ポンプがやっぱいまいちで サブタンクの燃料を使いはじめる200km以降は最高速が出せへんのですわぁ。全開にするとガスッガスッってゆうて止まりおるもん(笑)。 ただ単純な真直ぐコースでKTMのライダーに抜かれていくんはきっついわぁ。この後もこんなコースばっかやと完走めざすしかないんかなぁ…。」

1月20日   [頑張る幸繁さん]
前日なんと念願の総合10位、トップテンです! 排気量の差で順位が下がるかとも思われたのですがすごい頑張りです。 このパフォーマンスをささえているのが「腹減った」の幸繁さん。しかし彼は酷い風邪にかかりフラフラの状態です。 リビアに入り夜間は−5度にも冷え込む日々に疲れが重なったのかもしれません。池町さん以外にも女性ライダーの 山村礼子さんのマシンも手伝っているとのこと。彼の果たしている役割は大きいです。 幸か不幸か、金森&進藤ペアがリタイヤしてしまったため、キャンプ地ではドリームチャレンジャーのスタッフの手厚い 看護付きで頑張ってもらってます。女性が3人もついているので逆に治らないふりをしているのではないかという噂のほどは判りません。(管理者)

1月18日   [マシン不調ながら好成績]
ラリーが再開され、舞台は砂漠の高速ステージに移りました。現在総合11位と非常に素晴らしい成績です。 しかし、ハイスピードステージでは他の大排気量マシンとのトップスピード差が大きくライダーの技量ではなんともすることは出来ません。 さらに池町さんのマシン自体の調子も完全ではなく、不安を抱えながらの走行です。ですが何とかトップ10内に入ってほしいものです。(管理者)

1月13日   [ラリー中断!]
池町 佳生さんのコメント
「前半の順位は上の方に来られて問題ないんやけれど、ニジェールのSSがキャンセルになったのは悔しいなぁ。 ボクはぜ〜んぶ走りたかったんやけどね。距離がみじかなって順位がどうこうというのとは別に、自分では納得しにくいんですわぁ。 ほんま、全部走りたかったなぁ。ま、仕方ないことやけどね。」

1月12日   [快挙!総合13位!!]
 SSを走行中にタイヤがパンク、注入してあったムースもボロボロになり最後は金属のリムのみで走行し やっとの思いでSSをゴールしました。しかし、その先も長距離のリエゾン(移動区間)なのです。通りかかったKTMのカミオンに 「タイヤを1本ゆずってほしい」とお願いしたもののあっさり「NO!」と返され、途中の町でカブ用のチューブを購入して なんとかキャンプ地へたどりついてます。
こんな状況のプライベート参加ながらトップワークスに次ぐ総合13位、もちろん日本人最高位です。 「スペアタイヤも残り少ないしぃ、捨ててあるタイヤできれいなやつ探してこなアカンなぁ。(笑顔)」とこんな状況下でも 常にニコニコ笑顔の池町さんです。
競技日数が短縮されてしまったのは少しずつ上位にあがろうとしていた池町さんにとっては残念なことですが、 人事を尽くして天命を引き寄せたい心境です。(管理者)

1月8日   [好位置をキープ]
池町&幸繁  SS3を終了して総合21位と絶好調です。上位のほとんどがワークスライダーということを考えると すばらしい成績です。コースはブッシュが多くハイスピードで走り抜けるには絶えず緊張を強いられます。 前半1回目のマラソン区間(メカニックのサポートが受けられない区間)を終え、SS2で転倒しタンクに穴が 空いたものの大きなトラブルにはならず、本人もいたって元気です。(管理者)
※写真は1997年の池町さんと幸繁さんです

1月5日   [いよいよスタート]
 明日、いよいよスタートです。書類審査も終わり、後はラリーが始まるのを待つばかり。 初日はペースがつかみ難いものの、ラッキーなことに最初のルートは初挑戦の1997年の時と同じコースです。 前後の様子を見つつ、30位くらいのポジションにつけるのではないかと思われます。(管理者)

12月27日   [無事に車検通過]
 車検は無事に通過することが出来たようです。ゼッケン番号は77です。明日アフリカへ向けて船積みしたあとは しばしの休息です。ラリースタートに向けてゆっくりする予定です。(管理者)

12月22日   [パリでの車検前の準備]
準備作業  今日も近くのスーパーへ買い出しに2人でいくことにする。
特に何かというわけではないのだけれど、テスターが無かったのでそのついでに、良いものが無いかと、 飛行機での別送荷物用に箱(スチール製)を仕入れようと言うことで出動。

・・・と日記はいまのところここまで。車検の模様はまたしばらくしてレポートします!

12月21日   [自炊を開始]
 自炊をしようと朝から食料を買い出ししに向かいのリーダープライスへ。
ここでは大体の食料が手に入るものの、コンロ1つにコッヘル1つ(深底)では当然ながらできるものは決まってきて、 レトルト系の食料とパンの組み合わせになる。 野菜が足りないのは、マクドナルドのサラダ(シェフタイプ25フラン)でなんとかしのいでいたものの、 金の余り豊富でない僕らにとっては、これも少々高くつくと言うことで、野菜を買って、 それにマヨネーズをつけたりして食べることに変更。
結構、食材が充実してきて、ハラペコ幸繁メカの念仏も一つへったみたいだが、バイクの進み具合がまだこの段階では十分でなく、 まあとりあえず、GPSが日本から届くまでは完成しそうもないので、池町は一人でTSOのオフィシャルガール達の所へ 顔を出して、友好を深める&お金を全て払っているか、足りないことは無いか、新しい情報は無いか、などを探りにTSOオフィスへ。
3年ぶりにマリーとネリーに再会! ヨーロッパ的にチュッ、チュッとキスをして久しぶりね!とひとしきり挨拶。
「ムッシュイケマチは全てOKよ!」と確認してもらって、28日の車検で会いましょうと、TSOを後にした。
今度は28日からのホテルの予約をしに、ポートマイヨーへ行く。
ここは、前回、前々回と泊まったところで、ここのオーナーとも顔見知りなはずなので、28日から1日までの4泊をこの宿にする。 暗くなってからホテルに帰宅。
明日にはGPSが届くといいなー。

12月20日   [フランスでの生活]
至福のひととき  朝、いつも起きる時間は、まだ時差のこともあってかかなり早起きだ(日本が8時間早い)。
コウシゲは今までの会社疲れを取り払うように死んだように眠っている。俺はというと、 毎朝5時ごろに目をさまして、ごそごそしている。可愛いい姉ちゃんでも横で寝ていたら、 寝顔を見ているだけで幸せな気分なんだろうが、コウシゲではしょうがない。
今日もバイクをいじって、なんとか前周りを完成させたいと頑張って作業。 夜には、向かいのGURLLと言う店に入って肉でも食おうと言うことになり、勇んで行ってはみたものの、かなりショボイ状態。 これにはハラペココウシゲもがっかりで、「これからは自炊しよう」と2人で部屋にて決定。
明日は食材買い出しだ!

12月19日   [寒いよぉ〜、暗いよぉ〜]
作業中の幸繁さん 今日から本格的にバイクに取りかかる。
ホテルの地下駐車場を借りて整備をすることになり、(といっても1日50フラン)これで外の寒さの中で 作業するのに比べて大分ましな環境になった。
ここでもコウシゲは 「寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、暗い、暗い、暗い、暗い、暗い、暗い、 腹減った、腹減った、腹減った、腹減った、腹減った!」 と念仏を唱えながらの作業をしている。 彼はどうも寒いところが苦手らしく、早くアフリカへ渡りたい様子だ。
今回主催者から供給されるGPS(といっても金はいる、しかも高い)が日本に僕らと入 れ違いに届いたらしく、早急に送ってもらうことに。 これが届くとバイクは出来あがりの状態にかなり近づく。
足りないものリストと作業リストを書き出してそれを見ながらすすめていくのだけれど、 不足するものやらを買い出しに行ったり探したりしていると、あっというまに1日が過ぎてしまう。

12月18日   [タイヤと札幌ラーメン]
@MSV  午前中にまたタイヤ屋に行って、タイヤとムースの装着をやりに行く。 '97年の時は全部作業が終わるまでに約1週間ここに通ったことを考えつつエッフェル塔近くのMSVに到着。
今回は皆、前回の経験を生かせたのか、約半日で7本のムースを全て完了させてくれた。 これは一重に店の人達全員で作業してくれたおかげ。
しかもその半日の作業代を、 「タダでいいよ!」と言ってくれた。ステファンに本当に感謝したい。
ささやかながら店の向かいの商店でピザとパンを買ってみんなに差し入れして、 ひたすら「メルシー、メルシー」とお礼を言い、店を後に。
帰りに、サンミッチェルのアウトドアショップに買い物しに行き、今日の夕飯はルーブルの近くにある「札幌ラーメン」に行くことに決定。 これは、コウシゲがひたすら「腹減った、腹減った」と念仏をとなえているようにいつも言っているので、 彼の大好物である、ラーメン、餃子、焼き飯を食べればそれが落ち着くのではないかということもあって行くことに。
この日から、パソコンのプロバイダーの電話番号をイギリスの番号にしてみたら、成功! これで多少は電話代が安く済むはずだ。

12月17日   [パリで準備開始]
 今日はやることが盛りだくさん! まずモンパルナスのバジェットでレンタカーをトラックに差し替えて、 その足でリビアのビザ申請、それからモテピケにある前もお世話になったタイヤ屋さんに顔を出す。 ここで、3年ぶりに店のみんなに会い、「やあひさしぶりだね!」といった感じで皆にもてなしをうける。
そして、空港そばにあるMOエアーさんに行ってバイクを受け取る、と言う前回の“動き”からすると約1週間分とも言える仕事量。
今日もやはり地図をみても解らないコウシゲは借りてきた猫のように助手席に鎮座。 迷うかなと思っていたけど、前回ガミさんと何100KMもパリ市内を走ったおかげで、地図無し走法のほうが早く走れて “覚えてるもんだな”とわれながらびっくり。
バイクはなんの問題も無く到着しており、“ワク”を預かってもらって残りをトラックへ積みこむ。
「いやー今日は本当にやることが一杯できたよ!」
と幸繁に言うと、
「へー、そうなんだ…」
前回の状態を知らないからしょうがないけど、あまり実感がない様子。 まあ、バイクも受け取ったし明日からは、作業をがんばってもらうことにしよう!

12月16日   [出発〜パリ到着]
 昨日の会社の忘年会が終わったのが PM11時30分。それから家に帰って、支度をはじめたのが1時頃。 奥さんをまきこんでの準備がおわったのが朝4時半、それから約1時間半の睡眠をとって関空へ。10時発韓国行きの大韓航空だ。 UAEの時みたくオーバーチャージ(重量超過)をとられることもなくチェックイン!
今回は、メカニックの幸繁(こうしげ)と韓国で落ち合うことになっている…。 韓国でおちあった僕達は、韓国から約12時間の飛行の末、フランスのパリに到着した。 ここは3年ぶりの来訪で結構ひさしぶりな感だ。あらかじめ予約しておいたレンタカーを受け取って、 今回の長期宿泊地であるパリ郊外のホテルへ急ぎたいけれど、いかんせん郊外の地図が飛行場に売ってなく、 仕方なくレンタカー屋のおねえさんにオートルートの降り口だけ教えてもらう。
なんとかその降り口までたどりつくものの、住所に行きつくまではたいへん迷った。 動きだしたのが夜7時からなので、当然真っ暗で看板も見にくいしコウシゲは国際免許も持ってきてない上、 ナビはわからんから出来ませんと言う始末。仕方なく運転しながらあっちでもない、こっちでもないとやっと行き着いた。


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