Team Dream Challenger 2000

[パート1・パリ車検] [パート2・ラリー前半] [パート3・ラリー後半]


●進藤浩司のパリダカ通信  〜ラリー後半編〜

ピラミッド


1月31日   [日本帰国]
 やっと日本に帰ってきました。みんな元気です。車はリビアの砂漠に置いてきちゃったけど人間はカイロまで完走しました。(笑)
結果はリタイヤですがこれもまたパリダカ、いい経験が出来ました。感謝です。

1月25日   [ほっと一息]
食事 久しぶりにベッドで寝ることが出来ました。食事も砂の上ではなくテーブルです。う〜ん、美味しい。 下はカイロのゴールに来てくれた友達です。


1月24日   [カイロに着いて思うこと]
パソコンがやっとつながったようで久々の進藤さんからのリポートです
 月の砂漠を〜っと、このメールはエジプトのピラミッドが真正面に見える部屋で書いてます。 1月6日にダカールからスタートしたパリ〜ダカール〜カイロラリーは23日に無事カイロで終結しました。 我々ドリームチャレンジャー号も見事カイロまで完走!!と報告したかったけど残念ながら第13ステージ、リビア砂漠の大砂丘手前でミッションが壊れギアが入らなくなり マシントラブルで泣く泣くリタイアとなってしまいました。応援してくれた皆さん本当に申し訳ありません。
パリダカ2回目の完走の夢は残り4ステージというところで実現できなかったけれど、リタイアしないとできない経験もいろいろとさせてもらったし、 何よりも五体満足でカイロまでたどり着けたことに感謝してます。

空輸前の荷造り 今回のパリダカは例年以上に様々な事件があってドラマティックな展開となりました。まずは第6ステージ、ブルキナファッソ共和国のワガドゥグから ニジェールの首都ニアメイにゴールしたらいきなりのレース中断で足止め。 なんでもコース上に武装した300人ほどの反政府ゲリラ盗賊集団が待機していることをアメリカ政府の情報筋がキャッチしてフランス政府に伝え、 パリダカのオーガニジェーションが大事をとって、危険地帯を通る4日分のコースをキャンセルして安全が確認されているリビアのサファまで 全車両とスタッフを空輸してレースは5日後からの再開となりました。5日間もの間、日中40℃を超える炎天下のキャンプ地でどうしようかと困っていたら、 現地のJICA(海外青年協力隊)の日本人の方にとてもよくしてもらって彼らの宿舎や部屋にお世話になりました。 車両の空輸はロシア製のアントノフという化け物みたいにどでかい輸送機を2機チャーターしてピストン輸送です。 これには莫大な経費がかかったらしい。飛行機でリビアのサバについてびっくりしたのは気温差、夜は何と摂氏2度までさがり 夏用のテントと寝袋しかない僕は朝まで凍ってました。

レースが再開して3日目、悲惨な事故が発生! 通常レースは前日の順位をもとに1分毎(上位20台は2分間隔)に一台ずつ出走するのですが、 この日は6台ずつの一斉スタート。当然ドライバーも熱くなってスピードアップしてしまいます。 先頭集団2列目の篠塚選手らは本コースから少しずれた砂丘にアタックしたはいいものの、それまでの砂丘群とは違い砂丘の向こうは断崖絶壁に近い急斜面、 車は宙に舞い数十メーター落ちて次々と4台がクラッシュしました。
僕たちも20分後にこのコースに突入してしまったんだけど、勇気ある選手が砂丘の上に立ち、 「危険だ」の合図を送ってくれたおかげで、僕たちは九死に一生を得ました。 現場は惨澹たる状況で砂丘の底は車と選手があちこちに転がっていて救助を待っていました。数人が危篤状態のままヘリで空輸されてます。 肝を冷やした僕らは今日は押さえていこうと決めて走りました。

400キロほど走破してゴールまであと200キロという地点にさしかかった時、突然車に異変が起きました。 ミッション付近で音が鳴るのでいったん止まってチェックしたら、それっきりギアが入らなくなってしままいました。 二人ではどうすることもできない箇所なのでアシスタントカミオン(サポートトラック)に牽引してもらうしかないと、 天に祈る気持ちで待っていたが、運悪くそこは大砂丘群の手前で、なんとアシスタントカミオンは迂回のルートを通っていて一台も来ませんでした。
リビア砂漠
360°見渡す限り地平線という広大な場所で一台と二人は取り残されることに・・・。 大きな夕日が地平線に落ちるのを眺めながらこんな景色もなかなか見れないぞと自分を勇気づけていたけれど、さすがに月明かりの中二人っきりでいると恐怖が襲ってきます。 夜中になって救援のカミオンが僕らを発見してくれて、いよいよ決断の時がやってきました。
ここはリビア、レース当日だけ国境が開かれてはいるものの明日からはまた閉鎖されてしまう。スペアのパーツもないしエジプトに脱出できる手段もない。方法はただ一つ車を捨ててカミオンに救助してもらうしかありません。 車に別れを告げるとき二人とも泣きました。

命からがらキャンプ地に帰還した僕たちをスタッフは暖かく迎えてくれました。翌日からはエアスタッフにうまく紛れ込んで全員でカイロまで無事移動です。 みんな元気で今日からはエジプト観光を楽しんでいます。これから紅海に行って静養して2月1日に帰国する予定です。

応援本当にありがとうございました。


命ってとっても大事だなと痛感した日々でした。  進藤浩司

1月20日   [マシントラブルでリタイヤ]
1月19日、キャンプ地のワハをスタートしSS13が開始されました。4輪トップグループでは 篠塚選手を含む4台で事故が発生し8人がヘリで病院へ向かうというアクシデントがありました。 324号車のナビ、ルヌブー選手は事故現場でバンパーを振りながら後続の競技車に合図を送り、何人もの競技者が危険を回避できました。 彼のおかげで金森・進藤車も危険を免れ、その後は車重も軽くなったのも手伝って砂漠のハイスピードステージを快走、一時は区間タイム22位という ポジションで走行していました。
しかしスタートしてから420km、ゴールのコフラまであと200kmのところでミッションからガタガタと異音が発生して突然ストップしてしまいました。 全てのギアが使えず自走不能、パーツの調達も困難という状況になりラリーの一番最後を走ってくるトラック(通称カミオンバレー)にピックアップされキャンプ地に向かいました。 場所がリビアだけにラリーが終了すると出国が難しくなるという事もあって断腸の思いでの決断です。(管理者)

1月17日   [ラリー再開]
荷物がいっぱい ニジェールの首都ニアメイから大型輸送機によりリビアのアルウィグへ到着しました。 一時は中止の噂もあったパリダカールラリーですが、主催者の努力もあってラリーは再開されます。(輸送費用は1億7千万円とか) これから砂漠のハイスピードステージへと突入していきます。
砂漠と言っても気温は夜間氷点下まで下がります。選手のみならずチームスタッフも厳しい自然の中でラリーを続けています。 また時に飛行機を降りてキャンプを設営する場所までだいぶ歩く時もあります。 荷物がたくさんあって疲れます。(管理者)


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